労働組合と生産性運動(全労生 副議長・津村正男)

 依頼を頂き、何を書こうかと思案したが、自組織と生産性運動との関係を自分なりに考えてみることにした。出身組織の三菱重工労組の前身である三菱重工労組連合会は、戦後の1946年に結成されたが、三菱重工社の三分割(いわゆる財閥解体)により連合会も解散となり、3社ごとの労働組合となった。その後、1964年の3重工合併に伴い、労働組合も連合会の結成を経て1968年に単一化を果たし、三菱重工労組としての本部・支部体制が確立された。

 しかし、戦後の会社分割から単一化までの間の各支部の歴史は大きく異なっている。当時は、上部・外部組織との関係から階級闘争的な思想の影響を強く受けていたところもあったため、一部の支部においては、当時の労働組合を脱退し新たに組合を結成、現在の姿となったところもある。その新たな組合の結成の根底みあったのは、労使は対立するものではなく、信頼にもとづく緊張ある健全な労使関係を構築するという考え方であり、生産性運動三原則の理念にも沿ったものであったと理解している。

 こうした経過を経た三菱重工労組は、労働協約において会社との協議・交渉を行う場を「経営協議会」という名称を用いている。一般的にいう春闘における要求提出や交渉は勿論のこと、経営概況の説明や会社施策の提案なども、この経営協議会の名のもとに開催しており、お互いを信頼した上で労使協議を尽くすという意味を込めた名称であると解釈している。

 基幹労連においても、「産業民主主義を基盤にして、対等な労使関係にもとづく相互信頼のもとで、産業・企業の健全な発展のために、労働組合の役割を果たす」と綱領に掲げている。近年、取り巻く環境が大きく変わってきたが、職場を原点とし昨日よりも今日、今日よりも明日へと気概と希望をもって、安全で安心して働き生活することのできる環境の維持・改善へ取り組むことが全ての活動の基盤となる。こうした時だからこそ、持続可能な経済社会を実現するための軸としての生産性運動、とりわけ「成果の公正分配」について労使ともに再認識するべきではないか。

(「ネットワーク全労生」生産性新聞2023年12月15日号掲載)

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